今年23歳 福島拓矢君、入社決定!ようやく照太郎に20代の新人が入る事が決まりました。

(株)照太郎、この不況・不景気に負けず、あきらめず少しづつではありますが
着実に一歩一歩、良い方向に向かって歩いています。

4月19日から 佐藤君 品川組 映画35mmフィルム
4月下旬から 原君 神山組 映画
同じく4月下旬から 藤井君 山下組 映画

と3本の映画の準備をしています。
この勢いで良い映画作りの手助けをして行けば必ずこの先、照太郎は大きく育ってゆくと
照太郎スタッフは信じています。

                                2010年3月 才木




2010年 新しい年を迎え照太郎全スタッフ 今年は色々な仕事に参加し
記憶に残る仕事(ライティング)をしようと張り切っていますが・・・

今のところ映画の仕事の依頼が藤井君の(海炭市叙景、熊切組 全編函館ロケ)だけです。
ちょっと寂しい気もしますが まだ2月これからだと思っています。

この不況・不景気をぶっとばすような映画が照太郎に必ずや依頼が来ると信じ
様々な仕事を確実にコツコツとやっていきます。

どうか今後とも御支援を末永く宜しくお願いいたします。
                                
                                2010年2月 才木

年の瀬も押し迫って、あわただしい毎日ですが
照太郎スタッフ一同も元気で年末まで仕事に頑張っています。
何とか会社として年を越せる見通しが立ちました。

設立して六ヶ月、まだまだ知名度も無く不安の毎日ですが
少しずつ良い方向に向かっている実感は感じられます。

来年は車輌等を揃え様々な仕事を向かえ入れる準備をしたいと思っています。
どうか末永く照太郎をお引き立てくださいますようお願いいたします。

そして皆様にとって良き年末年始を迎えられますように心からお祈り申し上げます。

                                
                                2009年12月 才木



照太郎日記の第一回の担当として、まずは経過と御挨拶申し上げたいと思います。

今年の2月頃から発起人5人が集まり、会社設立の準備を進めてきましたが
なかなか社名も決まらず、それぞれ仕事に入って行き登記に向けてどうなるものかと
思ってましたが、ようやく7月30日に全ての申請、登記を済ませ(株)照太郎 が生まれました。

百年に一度という大不況の中、また自民と民主の政権交代という歴史的な年に照太郎は生まれたのです。
これも何かの暗示だと私は思っています

これから照太郎が すばらしく、大きく育って行きますようにスタッフ一同、努力していきますので
皆々様の御協力、温かい御支援をお願い致します。
又、事務所に気軽に遊びに来てください、いつでも大歓迎致します。

(株)照太郎設立4ヶ月目、首のすわった赤ん坊と同じです。
どうか優しく見守って戴けますように お願い申し上げます。


                                2009年11月 才木

この照太郎は発足当初人でスタートしました。映画的に言いますと「GONIN」監督・石井隆)。
そして10月より田部 誠が加入しました。この男!なかなかの切れ者です。かわいい嫁と子供が
います。もう一人・・・・このホームページを見て来た男がいます。見習期間中につき名前は言いませんが
「映画がやりたいです!」と未知の世界へ飛び込んできました。7人・・・・「七人の侍」監督・黒澤明
になりましたまあ、七人いれば野武士と戦っても負けません!! このまま順調に増えていくと・・・・
「十三人の刺客」監督・工藤栄一)か・・・・・女の子募集してます
                              2010年10月5日  藤井

本日より二つの作品が公開されます。  「十三人の刺客」と「おにいちゃんのハナビ」

一年前の8月〜9月,会社設立当初の慌ただしい時も我らが照太郎の若きエースにして代表取締役・
佐藤宗史は、「十三人の刺客」の照明チーフとして山形から京都、そしてまた山形と忙しく動き回って
おりました。そしてクランク・アップしてすぐ新潟は片貝町に「おにいちゃんのハナビ」の助っ人として
あらわれ、存分に働いたのでした。
そして今、再び京都での撮影を終え北海道にて活動中・・・ガンバレ社長・・・働けお父さん(子供3人)
                                 2010年9月25日  藤井

「ソラニン」のDVDが発売されました。
実は一年前の初春、ソラニンの撮影準備の時に照太郎の
会社設立の話を受けたのです。不景気による閉塞感を感じる日常にこの話は少し現実離れした
夢を語るでした。 僕はかかってしまったのです、そうソラニンの種田や芽衣子がかかったあの
夢への熱病・・・・。  僕らもまた種田の感じた心の折れそうな葛藤をへて楽しいことも苦しいこと
も当たり前のようにくる日常の中で、照太郎は続いています。
芽衣子は気づきます、ソラニンは過去への決別の曲であることを。そして僕らも気づきます、照太郎
は前進であったのだと・・・。最後に芽衣子がこう語ります。
  たとえいつかこの景色が見られなくなる時が来ても、その時まで仲間(みんな)と一緒に
       いられれば、それでいいや。  今日はそう思う」   なんてね。
                                             
                              2010年9月5日  藤井

8月1日で照太郎は一周年をむかえました。
この一年、夏は高知の宿毛、秋は福島の国見・三春、冬は函館、そして春の神戸と
さまざまな土地で撮影を行ってきました。
その時々のボランティアの方々と接することで改めて感じることは
   「みんな映画が好きなんだ。そして新しい映画を待っている!」

「女優さん、きれい!」「キラキラした表情がいいね」「哀しい感じのシーン」・・・これらはおそらく
照明の力です。・・・・たぶん。
先日、ひとりの照明技師が亡くなりました。渡辺三雄さん。松田優作さんの映画に始まり、
黄金時代の角川映画を支え、最近では森田芳光監督作品を手がけておりました。
そして、その渡辺三雄さんのライティングこそ「カッコいい光」「男くさい映画」と呼ばれるなのです。
 シルエットに浮かぶ松田優作  光るレール  退廃的なバー  夜霧にけむる港町
・・・・いろんな映画のシーンが思い出されます。
渡辺さんとは5本の映画に携わらせていただき、強く影響を受けております。僕はこれからも
「カッコいい映画」を作るときは、渡辺さんのライティングを思い出すことでしょう。
63才・・・・・早すぎます。合掌
                            2010年11月25日  藤井


無償でありながら不規則な撮影時間にも笑顔で手伝ってくれる人々に日本映画は支えられて
いました。僕ら撮影隊は旅人であり、その土地を通りすぎるだけの存在ではありますが
作った映画は風景とともにいろんな人々の記憶に残り、時代に残ればと思う一年でした。
                                                    
                               2010年8月 藤井

映画を作るということは、おそらく恥ずかしいぐらいの理想としつこいぐらいの現実が存在している。
それを持った北の地の人々が、二年前に集まり苦心の末一つの映画を誕生させた。
「海炭市叙景」・・・・・函館の人々の、佐藤泰志という不遇の作家への思いと疲弊していく故郷への
思い。そして熊切監督の、人間の弱さに対する思いと北の地に暮らす人々への思い。
それらの強い思いが現実という映画制作を乗り切った。
二時間半という長尺の中に多くの奇跡が存在していると思える作品です。
    「海炭市叙景」本日より公開!!

                               2010年12月18日   藤井